夏休みに入るずいぶん前。小1の長男が、小学校からもらってきた「心のSOS」のアンケートに手紙を出しました。
内容はこう。
「がっこうのせんせいがこわいです」
この春小学校へ進学し、夜しくしくと泣くことが増えた長男。
先生が怒っている様子を思い出して、「こんなことをしたら明日学校でぼくも怒られる」と言うのです。
内容は本当に、些細なこと。
給食袋を忘れてきたとか、宿題のプリントを持ち帰ったはずなのに、見つからないとか。
子どもにとっては一大事なのかも知れませんが、「焦るのは分かるけど、それで泣かんくてもよくない!?」と思ってしまうのですが、本気で泣いている長男。
困ったなぁと思っていたところに、届いたヒアリングの手紙。
心がつらいことを何でも書いていいみたいだよ、先生のことでも何でもいいんだよ、と伝えたら、先生のことを書きたい、とのことでした。
「先生のことでも書いていいんだよ」と自ら言ったものの、正直少し躊躇いました。
だって、これって恐らく、イジメだったり、家庭環境に悩んでいたり、そのようなSOSを書くもの。
学校の先生のことを書くなんて、どうなんだろうか。
そんなことが頭をよぎったものの、息子を止めずに彼が書いたまま、ポストへ投函。
しばらくして、お返事が帰ってきました。息子と開封する前に、こちらが「なんて書いてあるんだろう」とドキドキ。
けれど開いてみたら、あれ?意外とあっさり笑
そして、息子に「どう感じた?」と聞いたら
「意味がよくわからない」と、そもそも手紙に興味がなさそう。笑
え!なんやねんそれ!!
もう、お返事が届いた頃には「先生がこわい」という感情がだいぶ薄れていたようでした。
けれど、せっかくの機会なので、息子と一緒に手紙の内容を丁寧に読みました。
「困ったことがあれば保健室に相談してもいい」って書いてあるね、と話したら
「保健室は、けがをしたら行ったり、ハンカチをかしてくれるところだよ」と思っていたらしく。
ハンカチも貸してくれるんや(笑)そうそう。ケガをしたら行くように、心が痛かったり、助けてほしい時にも行っていいんだよ、と話しました。
そして、この手紙を出したことで、お友だちだけじゃなく、ママやパパや、先生や、周りの大人が自分をいじめる時には助けてくれる場所があると、息子が理解してくれていたらいいなと感じました。
伝えてはみたけれど、どこまで伝わっているかな。
また、何度でも話そう。
何かあった時には1人で抱え込まず、自分の気持ちを吐き出せる場所を、彼にたくさん作ってあげられたらなと思います。
そして今回の手紙の1件で一番感じたのは、
何か子どもの対応をするときに、いかに自分の感情がそこに入り込んでしまうのか、ということ。
手紙を出す前の自分の感情に黄色のアンダーマークを付けてみると、自分の価値観だけで物事を判断して、そこに息子の行動を当てはめようとしていました。
「手紙はいじめについて書くものだ」「先生について書くなんて良くないんじゃないだろうか」
それは、手紙を書く権利を受け取った息子が判断することで、私が決めることではない。
彼が書きたいのなら書けばよいし、私はいつでも彼のことを信じて、そばで応援して、サポートする。
親にできる事なんて、ただそれだけなんだと思います。
良かれとあれやこれや口を出すことは、結局、自分の思い通りにしたいだけ、という事が多いですよね…。
ちなみに、その後長男は、先生のことをだいぶ理解して信頼するようになったようで、夏休みに入った途端「明日から先生に会えなくて寂しい」と言っていました。(笑)
ほんま、どないやねん!(笑)
けれど、とにかくやってみること。
そこに、親の価値観を持ち込まないこと。
とても難しいけれど、私は子どもたちの教育者ではなく、そばで寄り添うサポーターになりたいので。
そうなれるように、間違えながらも、努力し続けたいなと思います。
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