昨日息子(小1)が、こんなことを言いだしました。
「ぼくは、なんにもできない」
小学校へ上がってから、時々耳にする長男の「自分を否定する言葉」。
しかもこのセリフ、私がつい半年ほど前まで、感じていたこと。
私は、何も取り柄がない。
私は、何もできない。
息子の前で口にしたことはなかった(と思う)のですが、深い悩みの中にいた私は、自分のことをそう捉えていました。
だから、長男から聞くこの言葉にあの時の自分が急に蘇って、胸がキュッと苦しくなる思いでした。
「どうしたん?なんでそう思うん?」
と聞いてみるものの、すぐには言葉が出てこなくて。
お風呂タイムにゆっくり話をしていたら、どうやら
周りのお子さんと自分を比べているようです。
例えば、長男は工作が好きで、得意という自負があったのですが、
恐らくそれ以上に器用なお子さんがいるのでしょうか。
「ぼくはへたくそなんだ」と言う。
そして、つい先日まで(本当に、3日くらい前まで)は
算数が楽しかったのに、自分より上手に解ける子がいたり、先生からの直しが入って
「ぼくはできない」と認識している。
うーーーーん。どうしたものか。
とっさに頭に浮かんだ声がけは、いくつもあります。
「そんなこと、人と比べなくていいんだよ」
「君はすごく工作も上手いし、算数もできているよ」
「直しが入ることは、より良くするためで、悪いことではないんだよ」
「もっと得意になりたいのなら、やめてしまった公文を再開したら?」
いろんな言葉が浮かぶものの、昨日は、どれも私の口から伝えるのはやめておきました。
それって、私の意見であって、彼の考えではないから。
彼自身がどう考えて、どう行動していくのか。
それを見守りたいと思ったんです。
「そうか、それがつらかったんだね」
「じゃあ、何ができると思う?」
と彼に問うと
「うーん…。公文をまたやってみるとか?」
と自分で発して、「いや、でもやめておく」と言っていましたが(笑)
今「自分はできない」と感じるのは、自分自身であって、誰からの評価でもないこと。
その感情を変えたければ、何ができるのかを自分で考えて、行動すること。
まだ1年生の息子ですが、十分彼は、自分で考えられる頭を持っているなと信じています。
昨日は、結局疲れて寝てしまった息子。
また折に触れて、自分の気持ちを聞いてみよう。
その時に、良い問いかけが出来るかどうかは、そばで見守るママ(=コーチ)の腕次第なんですよね。
コーチングへの学びをこれから深めていこうとしている私。
「良質な質問を持っている」ことが、良いコーチの条件だろうと、現時点では認識しています。
だから、息子に対して、今私が出来うる限りの良質な質問を投げかけていきたい。
そして、彼自身が自分で考えて、答えを導き出していってほしいなと願います。
その答えに、正解なんてないので。
彼が選んだ選択が、正解になる。
自分で、正解にしていく。
そのことも、教えて行きたいなと思っています。
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