-過去も未来も、ぜんぶ自分次第-「脳ちゃんとタマ子」

脳ちゃんとタマ子 本の紹介

先日の投稿「過去は変えられる」を上げた後に、お友だちが

この本にもっと詳しく書いてあるよ、と貸してくれた「脳ちゃんとタマ子」

マンガでとても読みやすく、脳みそ役の「脳ちゃん」が関西弁で面白くって(笑)

バーッと今朝、一気に読みました。

そして、とっても学びが深かったので、シェアさせていただこうと思います。

脳みそのスペックって、すごいらしい

そんなこと、分かってるって。(笑)

脳みそは大切で、ものすごい賢い臓器。

けれど、実は自分の脳みその5%くらいしか、みんな使えていないらしい。

自分たちで思っているよりも、もっとものすごいことができる存在。

自分の頭を、「自分の脳」と捉えるのではなくて、「別もの」と切り離して考えると、その存在と能力のすごさに気づけるようです。

「でも私って、全然何もできないから…(←少し前の私)」なんて思わなくてだいじょうぶ。

それは、自分が自分自身に対して勝手に決めているラベルであって、別ものの「脳」は実は、想像を遥かに超えた能力を秘めているんですって。

それに、気づいていないだけ。引き出していないだけ。

そんな存在が一人にひとつ、頭の中に入ってそばについているのだから、こんなに心強いことはない!

過去を変えるって、こういうこと

今何かを願っていて、「こうなりたい(けれど現実はそうではない)」と思っているとしたら。

その「願い」があるということは、今現実の自分は、真逆の状態だと脳が認識することになるそうです。

例えば、

願い: 困っている人を助けたい

現実: 困っている人を探して、困っている人を創り続けている

願い: 優しいママになりたい

現実: (今は)優しくないママ

という感じ。

じゃあどうすればよいかと言うと、「未来」で、今を創っていく、ということ。

「未来」とただ漠然と考えると、実際は実現するのかはっきりしない、夢のようにとらえがちですが、

自分が想像する「未来」は実現できるのだそうです。

むしろ、自分が考える「未来」に向かって、人は動いている。

例えば、ママが朝起きて支度をして家を出るのは、「子どもを幼稚園へ送り届ける」という未来のために動いています。

それがすぐ先に未来ではなくても、10年後やずっと先に事であったとしても。

「思いが現実になる」ってよく聞くと思うのですが、それは自分が設定した「未来」に対して、ただ動いているから、なのだそう。

そう考えると、自分で設定した未来(=に自分が望むゴール)が来るためには、

日々、自分の周りで起きている様々な出来事を、どう認識して脳に記録させるのか、が重要なのだそうです。

物事の良しあし基準を創っているのは、すべて自分自身

日々の出来事で何かイヤなことが起こったとき(正しくは、自分がイヤだなと思うことが起こったとき)

先日ご紹介した「怒りをしずめる」方法も有効だと思いますが、それでも嫌な感情を完全に0にするのは難しいですよね。

その出来事を、「イヤだったな」という記憶のままで終わらせると、それが自分の脳にインプットされる。

だから次に同じことが起こったときにも、「またイヤなことが起こった」と認識する。

脳は、その情報記録能力がものすごく優秀なのだそうです。

そして、イヤな記憶ほど、次に起こったときに自分を守るための重要事項として脳が認識するから、しっかり忘れないように!インパクト大で刻んでしまうらしい。

ひゃー、だから、イヤな記憶って忘れにくいんだ!

そんなの困る…。

けれどそれを、「書き換えて」しまえば(=記憶を変えてしまえば)、イヤなこともポジティブな事柄に変わる。

具体的にどうするかというと、毎日夜寝る前に、こんなことをしてみると良いらしいです。

今日起こった様々な出来事が、「ポジティブなこと」「ネガティブなこと」なのか。

脳がその識別をするのは、人間が眠っている間。

だから、まず、お気に入りのペンとノートを用意して、

1.夜、寝る前に

2.未来の自分視点で見た時に、その出来事はどう捉えられるかを、できるだけ具体的に書き出す

3.ネガティブな出来事こそ、自分の人生を変えるラッキーポイントだと考えて、ポジティブに変換して書き出す

4.毎日楽しんでつづける

(ちなみに、2週間で、脳の中の「ニューロン」が再生して生まれ変わるらしく、2週間もあれば、考え方が変わって人は変われるらしいです。それを66日続ければ、呼吸するように続けられる「習慣」になる)

例えば、今朝ちょうどよい、変換できる出来事が起きました。

父ちゃんと、大喧嘩をしたんです笑。(←また!?はい、また、です。)

内容は、こう。

ちょっとしたことがきっかけで、家事育児の分担の話になり

私: 私の負担が大きい

夫: 俺も頑張ってる、じゃあ言わせてもらうが、部屋がいつもぐちゃぐちゃでうんざり

私: それならもっと早く帰ってきて手伝って。仕事の進め方が悪いんじゃないのなんだの(←これは言い過ぎ)

夫: そんなに言うなら、「もっと稼いで来い」

はーい、そこでストーーーップ(←ケンカを、自分のよいところで止めるやつ)

でました。

「俺が稼いでやってる」的な意識が出てのこの発言。

今までの私なら、この時点で

「ひ、ひどいわ…もっと稼いでから文句言えなんて、あなたの転勤についてきて私、正社員の職手放してるんですけど?!」と言いたくなるところですが。

今回は、全然怒っていません。(嘘です、怒ってます)

けれど、少し前の私とはとらえ方が違う。

そして今回は、紙に書いて破り捨ててやろうとは思わない。

その言葉を、残しておいてよいと思っている。

だって、「未来の私は、稼いでいるから」

この発言を受けて、

よっしゃーーー!!二度とこんなこと言わせないように(むしろ、もっと稼げと言い返してやるぐらいに)私を奮い立たせた言葉、と認識できたんです…!

そして、またブログに書くネタが増えたわ♩と(笑)

未来で、今を創る。

これを知っただけで、早速ものすごい変化が起きて、びっくりしました。

ケンカの最後、彼はものすごく私を非難していて、

私のせいで俺はこうだ、私が、私が…と続けたのですが、全く気になりませんでした。

何か起こったときに、ベクトルを自分ではなくて、人に向けると、言われたことも全て辛い言葉になる。

けれど、「自分」に向けたら、全然捉え方が違います。

子どもたちには、最近しきりに「人はどうでもよいんだよ。自分が、どう考えて感じるか、だよ」

と伝えるようにしているのですが、

夫は、まだその効果を知らないみたい。

けれど、彼には教えるつもりはありません(笑)

私が大きく変化して、「なんか母ちゃん、今までと違う…何があったんや…」

と聞かれたときに、しゃーなしに、しぶしぶ。教えてあげてもよいかなーと思ってます(イジワル笑)

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