自己肯定感が低かった3児のママ。私が変わるまで

私の自己肯定感ストーリー わたしのこと

こんにちは!ママと子どもの自己肯定感を高めたい人、あいぽんです。

今年42歳、7歳・4歳・2歳のちびっ子を育てるママです。

私は今、自身がコーチングで救われた経験から、そのスキルを私自身も習得してコーチングの良さを広めるべく、勉強中。

一般的に、自己肯定感が低いと言われる日本のママや子どもたちへ、何か少しでも力になれたらと思っています。

幼い頃から、ずっと自己肯定感が低かった私。

けれど、コーチングに出逢って、人と比較をせず、自分の心に正直に生きることの大切さを知りました。

そんな私の、42年間の自己肯定感がどのように変化してきたのかを、ご紹介していきたいと思います。

自己肯定感ってなに?

まずはじめに、「自己肯定感ってなんやねん?」と思われている方へ。

自己肯定感について、簡単にご説明します。

自己肯定感とは…
ありのままの自分を受け入れて、肯定する気持ち。他者と比較することなく、自分の長所も短所と思われる部分も含めて、自分の存在意義を肯定すること。

幼稚園時代は割と自由に好きな遊びをしていた子どもたちも、小学校教育が始まると、一斉に同じことを勉強して、その結果を点数で評価する機会が増えて行きます。

〇〇ちゃんは頭が良い、〇〇ちゃんは足が速い、〇〇ちゃんはスタイルが良い、〇〇ちゃんは人気者、など、周りと自分を比べて、「けれど僕は、私は…」と自信をなくしてしまうことも。

自己肯定感は、他人と比較をしている限りはどうしても低くなってしまいがちなのです。

私の自己肯定感歴史

そんな私も、この歳になるまでずっと、他人との比較の中で生きてきました。

まず自宅では、可愛くてスタイルが良い妹との比較。

家庭環境では、お金も綺麗なお家もあって、何不自由なく生きているように見える友人との比較。

学校へ行くようになると、面白くて頭が良い友人との比較。

社会人になると、仕事が出来て、上司にも後輩にも好かれる同僚との比較。

結婚する前は、どんどん結婚していく友人との比較。

いざ結婚すれば、先に出産していく友人との比較。

出産すれば、他の家庭との比較。

もう、挙げ出したらキリがありません。

本当に、あきれるくらいにいつも誰かと自分を比較して、その評価基準の中で生きてきました

いつも足りないものにばかり目が行って、「私には〇〇がない」と残念に思ったり、「何でこんな環境なんだ」と誰かのせいにして怒りを感じたりしていました。

何をやっていたんだろう、と今になれば思えるのですが、その時々で、私はもがきながらも、必死に生きていたのです。

そうして今やっと、思えるようになりました。

今のままで、十分素敵。私って、いい感じ。こんなに満たされていて、恵まれていて、本当に幸せ。

何言ってんねん!とバカみたいに聞こえるかも知れませんが、「自分を大切に思う気持ち」を、ようやく持てるようになったのです✨

幼少期の自己肯定感 

ここからは、私の自己肯定感度合いを、100%マックスで表していきたいと思います。

幼少期の私は、自己肯定感MAX。100%でした。

私は、3人姉妹の長女。父は住む場所を転々とする人で、私は山口県で、2つ下の妹はアメリカで、3つ下の弟は神奈川県で生まれました。

その頃の記憶はあまり残っていないのですが、母曰く「いつもマイクを持ってベッドの上で跳ねながら歌を歌っていた」とのこと。笑

陽気で明るい子どもだったようです。

5歳の頃、神戸へ引っ越してきて、そのまま社会人になるまで、神戸の地で暮らしました。

幼稚園の途中入園も、寂しかったなどの記憶はなく、泥団子を作って遊んだり劇を演じて楽しかったな~という幸せな記憶だけが残っています。

小学校時代の自己肯定感

小学校へ入っても、私の能天気(?)な性格はあまり変わらず。この頃も80~90%くらい?あったと思いますが、他者比較が始まりました。

幼馴染にも恵まれて、よく一緒に遊んでいました。今でも交流がある彼女たちは、美しくて、芯をしっかり持っていて。
泣き虫だった私はよく「とみ、しっかりしーよ!」と励ましてもらいながら、男子から守ってもらっていました。

そんな幼馴染たちは私にとって、同い年だけれどお姉ちゃんのような存在だったので、あまり自分を比べたことはないのですが、この頃から、妹と自分をよく比べるようになっていました。

顔が小さくて、目もくりくりと可愛らしくて、スタイルが良い妹。

対して、私は顔が大きいし、スタイルも良くない。ついでに、頭の形も悪い(笑)

自分のこの容姿がとてもコンプレックスで、嫌いでした。なんで同じ姉妹なのに、妹みたいに産んでくれなかったの…なんて思ったこともありました。

そして「他人との比較」も良くするようになっていました。

中学校時代の自己肯定感

中学校時代の自己肯定感は、30%くらい。とても下がった時期です。

中学時代は、原因はもう忘れてしまったのですが、一時期不登校になりました

いじめをされた訳ではありません。

誰かに何かを言われたのか、何が嫌だったのか。とにかく、学校へ行けなくなってしまったのです。
(何でもすぐ忘れる性格は、こういうことも忘れるので救われます)

見かねた先生が、クラス替えのタイミングで幼馴染を同じクラスにしてくれました。私の中ではこれが大きなきっかけで、また学校へ行けるようになりました。

その頃、ずっと引きこもって家で過食症のように食べたり、吐いたり…をしていたので、今より多分10キロくらいは太っていたと思います。修学旅行の写真が、とってもおデブちゃんでした(笑)

高校・大学時代の自己肯定感

ここで、またグーンと持ち直しました。高校・大学時代の自己肯定感は85%くらい。

中学の終わり頃から自分に自信を取り戻した私は、初めて彼氏が出来ました。
恋は自己肯定感を高めてくれますね(笑)

好きな人が出来て、誰かに好かれることで自分にも価値があると思えて、とても楽しい毎日でした。

大学時代も、アメリカ・カナダに住む友人を訪ねて1人で海外へ行ったり、インドのご家庭にホームステイをしたり、オーストラリアへ短期留学をしたり。

やりたいこと、興味のあることを何でも自由にしてきました。

心配性の母にとっては、とても扱いづらい娘だったと思います(笑)

ただ、周りにいる生粋の関西人の友人たちは、本当に面白い人が多くて。笑いを取ったり人を楽しませるのが上手い。
対して、私は笑いを取るのがとても苦手で、空気を読めずにシーンとなるような発言をしてしまったり。
友人たちを羨ましく思いつつ、自分は面白くないなぁと自信をなくしてしまうのでした。

社会人時代の自己肯定感 

社会人になったら、私の自己肯定感は急降下しました。一番低かった頃は、多分10%もないと思います。人生の中で、最も「自分に価値がない」と思っていた時代です。

まず、長く付き合っていた彼と別れて、故郷から遠く離れ一人暮らしを始めました。
最初の頃は寂しさもあり、地元が恋しくてたまりませんでした。

頭がキレるタイプでも、積極性があるタイプでもなく、仕事はいつも受け身で、不満ばかりでした。

そんな風なので当然仕事ができる訳も評価される訳もなく、いつも周りのデキル同僚と自分を比べて、自信がどんどんなくなっていました。

仕事を好きになれず、打ち込めなかったのです。2回目の転職で、ずっと憧れだった会社に入社出来たのは良いものの、ここでもやはり、バリバリ仕事をこなす仲間に圧倒されて、ついていくのに精いっぱい。

頑張りすぎて、体調を壊したこともありました。心も病んでいたと思います。

それでも、「地元を離れて、東京で、自分の力で生きている自分」を失いたくなくて、必死で仲間のみんなについていこうと頑張っていました。

結婚・出産後の自己肯定感 

ずっと夢だった、結婚して子どもを授かったことで、私の自己肯定感はまた持ち直しました。80%くらいまで。

地元で長く付き合っていた彼と別れてから、何度か恋愛をしましたが、なかなか長続きしませんでした。そのまま、30代に突入。
周りの友人はどんどん結婚して、子どもを産んでいく。とても焦りました。

仕事も上手くいかないし、恋愛も上手くいかない。

それなりに友人と遊んで楽しく過ごしてはいたものの、心にはいつも結婚への焦りがありました。

そんな中、私を好きになってくれて、プロポーズしてくれたのが、今の夫。

これでようやく、人並みの幸せのレールに乗れた気分でした。

今思えば、その価値観が自分を苦しめていた原因なのですが…。

そして晴れて結婚したものの、今度は、子どもになかなか恵まれませんでした

いくつも病院に行って、検査をするも原因は不明。ただ、一つ分かったことは、私は「低AMH」といって、実年齢より卵巣の年齢が高く、妊娠しずらい体質だ、ということでした。

そこから、もう無我夢中で身体に良いことを調べて、色んな妊活の情報を集めて、またいくつも病院へ通って…できることに必死で取り組みました。

そして、たくさんの時間と労力を費やして、3人の天使が私の元へやってきてくれました。

ずっと欲しかった、私の幸せ

3人姉弟で育って、夫も3人兄妹。子どもは多い方が良いなと思っていたので、全て望み通り。

願いを手に入れたはず、なのに…。

夫との不仲

子どもに恵まれた幸せもつかの間。産後、夫ととても不仲になりました。

特に長男の産後はひどく、私も今思えば産後鬱のような状態だったと思います。
ちょっとしたことも決断できず、よく泣いていました。自己肯定感はまた10%程に。

地元を離れて夫と子どもと過ごす中、特に初めての産後での夫との不仲は、とてもメンタルに堪えました。

喧嘩をすると、何日も口をきいてくれなくなる夫。私も、イライラしてつい暴言を吐いてしまう。

泣いて怒って、産後のホルモンバランスもあり、それはそれは気持ちの上下が忙しい状況で(笑)

出産前はあんなに仲が良かったのに、「いつか絶対こいつと別れてやる」とまで思うようになり、その気持ちはだいぶ元に戻ったものの、ふとした瞬間に辛かった頃の感情を思い出して、自分が苦しくなる。そんな状況でした。

その後、2人目が1歳の頃、夫が単身赴任になり、彼の存在の大きさを強く認識しました。

けれど、一緒に暮らすようになると、やっぱりまた喧嘩をする。

今は、だいぶ喧嘩は減りましたが、俗にいうラブラブな仲良し夫婦、というよりは、育児のパートナーとして、よい距離感を保ちながら力を合わせる同士、という感じです。

今の私は?

そんな夫との不仲の中、私の自己肯定感を支えてくれていたのは「正社員の職に就いて自力で生きていること」と「子どもを育てていること」でした。

その仕事も、夫の転勤で失う事になり、育児に全力で向き合ってみるものの、自己肯定感が戻ってこない。

私なんて何も持っていない
何もできない
価値がない人間だ

良く口癖で「母ちゃん、ミジンコになりたい(小さくなって消えてしまいたい)」と言ってめそめそしてしまい、子どもたちを困らせていました。

そんな頃、信頼する友人の紹介でコーチングに出逢い、どうすればこの悩みの底から抜け出せるのか。

自分の心に問い続けた結果、

長く勤めていた会社を辞めて転職し、自分の変化を誰かに共有したくて発信を始め
大きく心を動かされたマーケティングスクールに入りコーチングでの起業を目指して勉強をスタートすることになります。

今の私は、自己肯定感100%

今後、今よりもっと上の感情があるのかも知れませんが、自分史上、今一番自分が満たされていると感じています。

なぜ、現状に満足できなかったのだろう。

昔の自分を振り返って

今までの私は、なぜ、現状に満足ができなかったのだろう。

考えてみると、私は今まで、周りの環境に心を左右されて生きてきました

人にこう言われたから、落ち込む。
誰かがこうしているから、羨ましい。

そして、自分にないものにばかり、目を向けていました

もっと〇〇だったら。
〇〇になれたら、幸せなのに。

けれどそれでは、どこまで行っても人と比べるし、足りないものに目が行くのです。

これは、起業で成功している人の話によると、どんなに成功したとしても、尽きないそうです。

お金持ちなんて比較すればキリがないし、人生で成功しているように見える人も、そう。

常に、上には上がいる

本当は、私のどの人生のステージにおいても、たくさんの幸せがあって、いつも十分に与えられていたのに。

それに気付けていないだけでした。

私は常に、両親に愛されていました。
決して裕福ではない家庭だったし、母が病気がちだったこともあり部屋はいつも散らかって、両親は喧嘩ばかり。
それでも、私のことはいつも、どんな状況に置いても、愛してくれていました

「親に愛されていない」と感じたことは、一度もありません。

勉強をしなさい、とか、あれをしなさい、これはダメだ、と否定をされて強制されたこともありません。

とても自由に育ててもらいました

友人も、誰も私をいじめたり、仲間外れにする人はいませんでした。

面白い友人たちも、私のことを「愛ちゃんは抜けてて面白い」と言っていつも笑ってくれました。

仕事においても、新人の私に、責任ある立場や新規の取り組みを任せてチャンスを下さったり、たくさんの時間を割いて私の能力が上がるよう、育てて下さいました。

おかげで、私はどんな状況でも働くことから逃げなかったし、転妻で働かなくても良い状況でも、「働いて自分の力で生きて行きたい」と思う心を持つことができました。

人生のどこを切り取っても、多くの人に支えられて、愛されてきたのに、その時々で私はそれを十分に感じられずに、とても苦しんでいた。

とてももったいないことをしたなぁと今では思います。

私は、これから何をしていきたいのか

けれどこれってきっと、私だけではなくて、日々育児や家事や仕事に頑張るママさんなら、ありうることなんじゃないかなと思うのです。

こんなはずじゃない
自分には価値がない
人と比べて自分をダメだと思い込む

そう感じてしまうこと。

けれど、今の自分にはもう十分色んなものがあって、それに気がついていないだけ

自分をもっと知ることができたら、十分に与えられていることに気づけたら、本当に他人の事はどうでもよくなります(言い方が悪いですが。笑)

人は人、自分は自分

自分が、自分の気持ちに正直に生きられていたら、それで十分幸せ

人と比べてしまうときに、コーチングをしている友人から言われた一言が、今でも深く心に残っています。

ベクトルを自分に向けようよ

人ではなく、自分に。

今日は、どんな一日でしたか?
今どんな感情ですか?
何をしたいと感じていますか?

日々子どもたちのお世話をしていると、つい自分の感情は後回しにしてしまい、自分の気持ちに気づきにくくなってしまうようです。(私が、そうでした)

なので、まず一番大切にしたいのは、自分

ママだって、自分が一番。それでいいんですよ!

自分の人生を精一杯生きることが、子どもたちにも良い影響を与えると信じて。

自分が楽しめる時間を、一つでも増やしていきたいですね。

私がどんな風にコーチングを受けて、変われたのか。
それはまた、後日記事にしてみたいと思います✨

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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