子どもが「自分軸」で生きるには?

子どもが自分軸で生きるには? 子どもの話

昨日、小学校1年生長男のPTA行事で、学校へ向かいました。

そこで同級生のお母さん方と話す中で、感じたことがあります。

それは、幼い子どもたちが、いかに周りの大人の対応によって感情を揺さぶられ、振り回されてしまうのか、ということ。

私たち親はもちろん、学校の先生に対しても。

それだけ、彼らはまだ「自分の判断軸」を持っていないのです。

だからこそ、周りの大人は自分の対応に責任を持たなくてはいけない。

それが将来その子の「価値観」に大きく関わるのだということを、認識しなければいけない。

そう感じたことについて、書いてみます。

先生って、どれだけえらいの?

こんなことを書いたら、一部の方はとても不快に感じられると思います。

ごめんなさい。

けれど、このことを最近、とてもよく感じます。

学校の先生。幼稚園の先生。はたまた大学の教授やお医者さまなど「先生」と呼ばれる方々。

その資格を得るために、人より何倍もの努力をして勉強をして、その地位に立っている方々は、「努力ができる人」という意味でとても尊敬します。

けれど、いざ人に対して何かを教えたり、そのスキルを受ける側になった際には、「?」となることも、正直あります。

この人、勉強ができるという意味で頭はよいのだろうけれど、「人と心が通ったコミュニケーションが取れる」という分野においては、どうなのだろう。

と感じる方が、正直いらっしゃる。

だから最近は、「先生」だからといって、誰でも尊敬に値するほどの人格を持ち合わせている訳ではないのだな、と感じるようになりました。

それは、学校の先生に対しても。

わが家の長男、元気ではつらつとしていますが、ナイーブな一面もあり、入学後は折に触れて、しくしくと泣くことがあります。

理由は、「〇〇をしてしまって、先生に怒られるのが怖い」というもの。

内容は、本当にちょっとしたことです。

学校にお箸を忘れてきてしまったとか、宿題のプリントがこれで大丈夫か心配だ、とか。

私からすると、「そんなん大丈夫やって!」と笑い飛ばしてしまいそうなことを、長男は心配で泣いている。

そうかそうか。きみにとっては、これがものすごく重大事項に思えるのだね…。

と、理解しつつも、何かひっかかるなぁと以前から思っていましたが。

それが昨日、少しクリアになりました。

それは、泣いている理由が「怒られること」であるから。

「怒られること」に恐怖を抱いて、だから怒られないように、行動している。

あれ、これって、おかしくないかい。

その行動の本来の目的は、なに?

自分のため。

自分が、宿題をして、知識を得て、勉強する楽しさを体験するため。

それなのに、「宿題をしないと怒られるから、怒られないために宿題をする」なんて。

まだ入学して3カ月も経っていないのに、そんな風に勉強を捉えているなんて。

なんて恐ろしいことだと思ってしまったんです。

先生からすれば、皆一斉教育だから、誰か一人が宿題をしないなんて示しがつかなし、全員に必ずやらせたい。

だから、ルールに従わない子どもは、皆の前で強く怒られて、廊下に立たせたりもする。

その姿を見る側の子どもは、自分はそんな風に怒られたくないから、その恐怖心からきちんとするようにがんばる。

先生は、それで仕事が成り立つから良いのかも知れない。

けれど、そんな対応をすることで、現にここに「怒られることが怖い」という感情を基に何かをしようとする子どもの心が育ってしまっている。

それって、教育者としてどうなのだろうか…。

それが、どうやらわが子に限らず、他の同クラスのお子さんも感じているようで、

かと思えば、他のクラスでは「先生は本当に優しい」と口を揃えているクラスもあったり。

そんな風に、全てが担任の先生次第だなんて、学校全体としてどうなんですか。

どうなってるんですかー!!と思わずクレーマーのようになりそうな気持ちをぐっと押さえましたが、

やっぱり、おかしいなと思います。

とあるお母さんから出てきた言葉は、こうでした。

「低学年の時はやさしい先生で、とても穏やかに過ごしていたけれど、高学年になって厳しい先生に変わって、叱られるのが怖くて学校に行けなくなった」

もうそれ、先生100%政権やん。

子どもの人格ってなによ。「自主性を育てる」ことを、どう捉えているのよ。

「自分軸」がいかに人生において大切かを、理解されているのかしら…。

子どもが「自分軸」だとか言いだしたら、わがまま好き放題になる。

だから、先生や親が、頭ごなしに怒って「しつけ」をする。

それって、本当に正しいのでしょうか。

そうやって怒られて起こす行動に、どれほどの意味があるのでしょうか。

そうすることで、彼ら・彼女たちの「大人にとっては良しとしない行動」が、どれだけなおっていくのでしょうか…。

とはいえ、私もやっちゃいます。

「なんでそんなことすんねん!あかんって言ってるやろ~!!」と、関西弁丸出しで怒ってしまうことも、正直あります。

けれど、そこから生まれるのは

子どもの怯えたような表情と、私の自己嫌悪感。

何も、プラスなものは生まれない。

だから、できれば丁寧に、

「なぜそうしたのか」「そのことに対して、どう思うのか」「じゃあ、どうすればよいのか」

を、彼ら自身に考えさせたい。

そんな育児がしたいなと思っています。

そして、「宿題をしなさい」などは、一切言いません。

それでもししなかったら、そのまま学校へ行き、その時の結果を自分で体験して、学んだら良いなと思っています。

「周りはみんなちゃんとやっているんだ」と感じるのか、「宿題をしないって恥ずかしいな」と感じるのか、はたまた、「宿題なんて、別にしなくてもいいやん」と感じるのか。

それも、本人次第。原因と結果の法則です。

日々子どもたちと多くの時間を過ごす、学校の先生にも、同じようにあってほしいなと思うけれど…。

教師の教育課程に「コーチング」って、組み込まれているのかしら。

必須の過程にしてもらえないかな。

とはいえ、現場で毎回は出来なくても、知識としてあるだけで、全然対応が変わってくると思う。

少なくとも、廊下に立たせるなんて無意味なことを、しないだろうなと思う。

私にできることはなんだろうか、と考えた今朝。

今度、面談があるので、勇気をだして、私の気持ちを先生に話してみようと思います。

先生の経緯も聞いたうえで、先生方が行っていることは私たち親も見ていますよ、ということを認識してもらえたら。

クレーマーにならないようにだけは、気をつけなくてはですが…(汗)

皆さんの学校では、どんな様子ですか?

印象に残ったエピソードがあれば、教えてもらえると嬉しいです。

そして、相手が「先生」だからって。何かモノを言うことを、ためらうことはないと思う。

それが、どれだけ社会的地位の高い人であっても。

所詮は、同じ人間ですもの。

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