私の両親は、片付けでとても苦しめられた二人でした。
彼女なりにがんばっていたけれど、片付けられない母と
その状態を受け入れられない父。
私が今向き合っているお片付けにも、根底にあるのはそんな両親の姿。
だから、今一度、その頃に感じていたこと、そして大人になった今思うことを、書いてみようと思います。
このことを書くかどうかは、正直とても迷いました。
父も母も、傷つけてしまうかもしれない。
けれど、私自身とても傷ついて、そして、片付けが得意!と言える状況ではない今、私の家族も傷つけているのかもしれない。
そう考えると、自分を変えるために、変わるためにも、過去とちゃんと向き合いたいと思ったのです。
私の両親
私の両親は、とても不仲です。
私は父も母も大好きですが、よく、こんなに違う二人が結婚したなぁ、そんなに喧嘩ばかりするなら、別れたら良いのにな、と子ども心に思っていました。
その喧嘩の要因は、まだ幼かった私は詳細までよく分かりませんでしたが、それでも感じていたのは「家が片付いていないこと」に起因するものだろう、ということ。
今、両親は離婚はしないものの、別々に暮らしています。
まず、父はとても綺麗好き。
父の暮らす場所を訪れると、インテリアにもこだわりがあり、掃除も丁寧に行き届いていて、とても快適な空間。
対して母は、片付けたくて一生懸命がんばっているのだけれど、家の中はとても片付いているとは言い難い状況でした。
よく「しんどい」と口にしていたのですが、父の都合で住む環境がころころと変わる精神的ストレスと、彼女が育った孤独な環境のために、頼れる人もおらず、身体を壊していました。
そんな中での私たち3人の育児は、ものすごく大変だったと思います。
実際3人の子どもを育てるようになって、それが痛いほど分かるように。
けれど同時に、片付いていない状態を受け入れられなかった父の気持ちも、今では分かるのです。
実家の状況、皆さんの想像を絶すると思います。
例えば勝手口は、ごみ袋が天井近くまで常に埋まっていて、開いた状態を一度も見た記憶がありません。
家の中には落ちている食べものを求めてアリさんの大行列が出来ていたし、暗い場所に登場するアイツを目にするのは、日常茶飯事でした。
だったら、父が片付ければよいじゃない、と思うと思いますが、そうもいかない状況だったのです。
母には母なりの片付けのこだわりがあって、父が手出しをすることを一切許しませんでした。
他人が見たらゴミやん!と言えるようなモノも捨てられないようだったし、
実際、本当に大切なものを父に捨てられたこともあったから、もう触ってほしくない、とよく言っていました。
そんな二人だから、喧嘩になるのは当たり前。常に、言い争っていました。
怒っている父と、それに泣く母、という絵を何度見たことか。
その度に、私は
「おうちなんて、別に汚くてもなんでもいい。それで死んだりしない。だから、喧嘩をしないで。仲良くして」と泣きながら訴えていました。
喧嘩をしている場面を見たくなくて、その場から逃げることもよくありました。
「片付けしなくちゃ」
といつも口癖のように言って、しんどそうな表情でがんばる母をみて
「片付けなんてしなくていいから、お母さんに笑っていてほしい」
と、いつも思っていました。
けれど段々、そんな状況に慣れてしまい「もう別れたらよいのに」と思うように。
そんな環境に育った私が、大人になって
両親は二人とも、とても愛情深い人たち。
「私、愛されていないかも」と感じたことは、一度もありません。
とても愛されて、大切にされて(むしろ、それがうっとうしく感じるくらいに)育ててもらいました。
だから、私の心はちゃんと人並みに人を愛せる人間に育ったと思っているし、とても感謝している。
けれど、彼ら二人の関係は、とてもじゃないけれど愛に溢れたものではありませんでした。
そんな自宅環境で育った私。
自宅が綺麗だったらよかったな、と思うことは当然ありましたが、
今でも強く記憶に残っているのは、「仲良しの両親だったらよかったな」といつも思っていたこと。
だから、自分は結婚したら絶対、こんな風にはなりたくないしならないぞ、と決めていました。
夫と仲良くありたいし、家もいつも綺麗で整った環境にしておきたい。
そんな想いが、長男出産時には強く出てしまって(ホルモンバランスのせいもあったと思います)、
切迫で入院したことも、長男が産まれたことも、しばらく両親には(少なくとも当日には)報告しませんでした。
夫と二人で、乗り切るんだとがむしゃらに頑張っていました。
けれど現実は、思うようにはいかなくて
ところが、産後しばらくすると、その夫との関係が段々上手くいかなくなります。
もともと、夫が大好きだった(過去形でごめん)私。
それが、子どもが生まれて、愛情が100%子どもに行ってしまったことで、夫は寂しさを感じていたようです(後から話してくれました)。
けれど、渦中にいるときは彼の気持ちが分からず、
夫婦喧嘩をすると1週間以上口をきかれず無視をされる。
「お前を受け入れられるのは俺だけだ」のような、支配欲たっぷりのモラハラ発言を受ける。
(私もそれ相応のことを言い返したはずです。言ったことはすぐ忘れるのに…のやつです)
そんな中で、段々夫への気持ちが離れていきました。
記事:「夫とのカンケイ」でも書いたのですが、私と夫は、今でも決してラブラブ仲良し、という間柄ではありません。
育児のパートナーとして、とても尊敬しているし必要としている。
けれど、いざ一人の男性としてどうか、と聞かれると…。
片付けに対する価値観が違うことも、私と夫の喧嘩の原因になっていました。
「疲れて帰ってきているのに、いつも部屋が散らかっていて、本当にうんざりする」
綺麗好きの夫は、怒りが爆発すると時々このワードを口にします。
正直、言われる通り。
夫が帰宅する時間はまさに育児の戦場って感じで、散らかり度MAXの状態。
加えて、私も片付けの手法がまだ上手くないので、夫より片付けるのに時間がかかるし、完了した状態も彼を満足させられるものではないときもしばしばです。
けれど、産後まもなくて精神的にもボロボロな状態で言われたこの言葉に深く傷ついて、その後も、時々これを言われるたびにスイッチが入ったようにものすごく怒りを覚えてしまう私。
たぶん、自分が片付けに対しての過去の経験や劣等感もあり、そこを指摘されるのが辛いのだと思います。
これから、片付け上手になりたくて
「私は片付けが苦手」と認識して、夫を「お片付け大臣」に任命して、もう片付けのことは夫に任せよう、としていた時期もありました。
けれど、これはこれで、私のストレスに。
まず、欲しいものが全然見つからない。
自宅にいる時間が長いのは私の方なのに、欲しいものが欲しい時に探せなくて、よく一人でイライラしていました。
「父ちゃん、どこに片付けたのよ!」と独り言を言いながら怒っているのです。
そして、夫の片付け方にも不満が。
片付け好きで、モノをピタゴラスイッチのようにぴったり場所にはめ込むのが得意な夫。
一見、とても綺麗になったように感じるのですが、いざ使おうとすると、とても勝手が悪いのです。
使用頻度が低いものが手前にあって、よく使うものは奥の方。
子どもたちも、遊びたいおもちゃを取り出したくても自分で取れなくて、「母ちゃん取って~」となる。
そして私はまた、夫にイライラする。
だから、もう自分でちゃんとやろう!と、ようやく決心しました。結婚10年目にして、ようやく(笑)
まずは、学ぶことからです。
モノを捨てるには、どう選別すればよいのか?
モノを取り出しやすい導線って?
子どもでもできる、お片付け術って。
今の私には、まだまだ分からないことだらけ。
けれど、知らないってことは、「知って伸びるバッファがある」ということ。
そう考えると、今の私、成長の塊やん…!と思うのです(笑)
もう、夫に「散らかっていてうんざり」なんて言わせない。
というか、戦場にある状態に帰宅して、「散らかっている」なんて、そんなん当たり前やん!!
私がお片付けをできるようになったら、実はあなた、片付け得意って認識しているけれど、導線めちゃくちゃ悪いよ…?とか、言ってやりたい(笑)
そしてもう、片付けのことで、喧嘩なんかしたくない。
子どもの頃の自分を振り返って、改めてそう思いました。
「子どもが求めているのは、ママの笑顔」
私も、そう感じていたんだな、と。
だからもし、お片付けに追われて、いつもイライラしているおかあさんがいたら。
眉間にしわを寄せて、夫や子どもたちに「片付けなさい!」と怒っているおかあさんがいたら。
子どもの頃の私から、言わせてください。
「おへやなんて、散らかっていても死なないよ!楽しくしようよ。おかあさん、わらってよ」
ゆる~く、いきましょう。
子どもとの暮らしは、散らかる状態がベースにあると思えば、
少しだけでも整って笑顔で過ごせたら、それでいいではありませんか。
あの元気な子どもたちと暮らして、いつも綺麗で整っているなんて、そんなの無理です(笑)
だから、私の投稿では、いろんな写真の端っこに、ものが映り込む
決して「映え写真」ではないと思いますが(笑)
そんな現状を生きている私を、ありのまま発信していけたらと思っています。
「片付け苦手」、克服してみせます!!
どうか皆さん、見守っていてくださいね。
そして、最後に。
たぶんこの記事を読むだろう、お父さん、お母さんへ。
傷つけてしまったら、ごめんね。
そしてどうか、「あの時はごめん」などと、自分を責めないでください。
私は、あなたたちのことを、とてもとてもとても!!愛しています。
あの時も、今も、これからもずっと。
だからどうか、自分を責めないで、
これからの未来を、自分のことを大切にして、生きてほしいなと思っています。
もう私たち子どもたちはそれぞれ自分の世界を生きているし、心配しなくて大丈夫だよ。
どうか笑って、楽しい人生を。
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